オレの街がウニオンベルリン一色に・・・。

↑ヨーロッパの列車、バスの予約は大抵ここを使ってます。

◆1992年のベルリン

もう何度も書いてるけど、1992年から1年間、ドイツのベルリンに留学してました。

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当時はと言うとベルリンの壁が壊れ、ドイツが統合し新しい時代に突入したタイミングです。

サッカー的には1990年に西ドイツがワールドカップで優勝し国内はノリノリ、そして、東ドイツの優秀な選手を加えた統一ドイツがユーロ1992を戦い準優勝した時代だね。

俺はと言うと地元のチームでボールを蹴りつつ、自分の試合がない週末はサッカー観戦と言う全く勉強しないサッカーまみれの生活をしてました。

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◆1992年のヘルタベルリン

そんなオレが一番好きだったドイツのチームは地元のヘルタベルリン。当時はブンデスリーガ2部で、何万人も入るベルリンオリンピアシュタディオンはガラガラ。

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しかも、悪そうなスキンヘッドのネオナチっぽい奴らが沢山いて、ちょくちょく絡まれる。だから、好きなのに頻繁に行こうとも思えない環境だったんだよね。苦笑

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壁が壊れた事により、移民がたくさん入ってきちゃったから、逆にドイツ人が失業しちゃったりで、そんなだから外国人排斥運動が激しく、外国人と言う理由だけで石を投げられたり大変な思いも怖い思いも沢山しました。

そんなだからヘルタベルリンが好きと言う気持ちはかなりあるものの、わざわざ行こうかと思うと、優先順位が低かったのは確かかな。苦笑

でも、【サッカー好きは地元を愛すもの】と言う鉄則から、人気クラブのバイエルンやシャルケを見に行くも「好きなクラブは?」と聞かれれば頑にヘルタベルリンファンって言い続けてたんだよね。

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◆ウニオンベルリンの存在

そして、日本に帰ってから数年後、ウニオンベルリンの存在を知ることになるのです。住んでる時は全く知りませんでした。そもそも、ヘルタベルリンも2部だったので、その下のディビジョンまで目が届いてなかったよね。💦

けど、ある日、とんでもないことに気づいてしまったのです。

それはオレが住んでいた場所の直ぐそばにウニオンベルリンあったと言うことを。。。苦笑

オレが住んでいた街は旧東ベルリン。そして、ウニオンベルリンについて調べてたら本拠地が旧東ベルリンのケーペニックって書いてあるじゃん!?

ケーペニックって毎週乗ってたトラムの終点の駅で時間にして20分ぐらい。けど、手前に電車の駅があったから手前で降りちゃって行ったことが無かった駅なんだよね。

きっと、行って存在に気づいちゃったら絶対にウニオンファンだったんだろうな〜って思ってます。苦笑

◆住んでた街に行ってみよう!

そんなこんなで30年ぶりに住んでた街に行ってみたくなりました。

けど、何て言う街に住んでて、何て言う駅に住んでたかも覚えていません。。。

急に思いついたプランなんで住所も持ってきてないし、すでに行ってた学校もありません。。。

今、考えつく手掛かりは当時気づいてもいなかったウニオンベルリン、そして、ケーペニックだけです。笑

まずケーペニックから出てるトラムを調べあげ、そこからオレが良く使っていた電車の駅を突き止める。そこからケーペニックの逆方向に行けば住んでた辺りに着くはずです。その後、また逆方向に乗り変え終点まで行けば、30年前に訪れることのなかった街ケーペニックに到着するだろうと言うのが今回のミッションです。笑

30年経った今、オレの街はどうなってるのか?ウニオンベルリンは根付いてるのか?見に行きましょう!w

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いや〜、街のあちこちにウニオンのステッカーが貼られてました。そして、オレはヘルタのユニフォームなのを忘れてて、ガチでアウェイな視線浴びまくりです。💦

実際、着替えもない中、ウニオンのスタジアムまで行くのは断念しました。苦笑

一度、2006年に見に行ったことがあるんだけど、その時は普通に自分の住んでたとこの近所って思わずに行ってるからね。不思議なもんだね!?

逆に今回スタジアムに行かなかったことで、ウニオンに心が動いたり、なんか不思議な気分にならなくて良かったのかもしれないね。笑

と言うことで、近い将来、ベルリンダービーを見に行くぞ!と誓った小トリップになりました。

※ちなみな、ドイツのDAZNではベルリンダービーのドキュメンタリーやってたんだよね。日本でもやって欲しいよ。

あさひ