【この記事でわかること】
■チョンブリFCとはどんなクラブか(歴史・実績)
■日本との意外な関係性と人物名
■著者(植田朝日)とチョンブリの縁と過去の交渉話
■2025年現在の昇格戦の状況と観戦予定
- ◆名門クラブ、再び
- ◆チョンブリFCとは?
- ◆なぜ“名門”と呼ばれるのか?
- ◆日本との“意外すぎる”関わり
- ◆実は数年前、オレは交渉のためにチョンブリに行ったことがある。
- ◆マイケル・チャヤトーンとの再会
- ◆そして、スパンブリへ
- ◆次回予告
◆名門クラブ、再び
タイリーグを少しでも追っていれば、耳にしたことがあるだろう。
チョンブリFC(Chonburi FC)――通称「シャークス」。
青を基調としたエンブレムに描かれたサメのように、
かつてはタイリーグで牙を剥いていた存在だ。
地方クラブとしては異例の成功。
2007年にはリーグ優勝を果たし、ACL常連としてアジアの舞台にも立った。
しかし近年は低迷し、今はタイリーグ2部(T2)での戦いを続けている。
だが今、彼らはT1復帰&T2優勝のダブル達成をかけ、ラストマッチに臨もうとしている。
◆チョンブリFCとは?
• 設立:2006年(プロクラブ化)
• 本拠地:タイ・チョンブリー県
• スタジアム:チョンブリ・スタジアム(約8,500人収容)
• クラブカラー:青
• ニックネーム:シャークス(Sharks)
• 主な実績:タイリーグ優勝(2007)、FAカップ優勝、ACL複数回出場
• スタイル:育成型クラブ/地元密着+ブランディング重視
また、ナイキといち早くオフィシャル契約を結んだ東南アジア初のクラブとも言われており、
ローカルとグローバルを繋ぐ“先進型クラブ”でもある。
◆なぜ“名門”と呼ばれるのか?
• 地方クラブとして、タイリーグのバンコク一極支配を崩す
• 2007年のリーグ制覇後は、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)常連に
• タイ代表選手や若手の輩出も多く、“育成力の高いクラブ”としても認知
• ユニフォーム/エンブレム/グッズの完成度も高く、ファン人気は根強い
◆日本との“意外すぎる”関わり
このクラブ、実は日本とも深い縁がある。
• 中野遼太郎:元FC東京アカデミー出身。現地挑戦が朝日をチョンブリへ向かわせたきっかけ。
• 和田昌裕/手倉森誠:共にチョンブリFCで監督経験あり。
• ヴィタヤ・ラオハクル:ブンデスリーガ経験者。かつて松下電器(現・ガンバ大阪)でもプレー。現在もクラブ周辺に関与しており、パナソニックとチョンブリFCのつながりも指摘される。
• 小倉敦生:2012年、クラブでチームマネージャーを務めた日本人スタッフ。現在はタイ代表ビーチサッカー監督。父は元日本サッカー協会の専務理事。
さらに、オレの記憶に1番残るのが――
2012年のACLプレーオフ:FC東京 vs チョンブリFC(@味スタ)
この試合は8-0でFC東京が圧勝。あの夜、チョンブリの名を知った人も多いはずだ。
◆実は数年前、オレは交渉のためにチョンブリに行ったことがある。
数年前の話。
オレの友人がふと言った。
「タイリーグのクラブ、どこか買えないかな?」
そこから半分冗談、半分本気でクラブリストアップが始まった。
その中で見えてきたのが、チョンブリFCと関係の深い複数のクラブだった。
当時のチョンブリのオーナーは、
シーラチャFC、バンブンユナイテッドなど複数のチームを事実上所有していた。
しかし、タイリーグのルール改定で、
「一人のオーナーが複数クラブを持つのはNG」という動きが始まった。
それによって、いくつかのクラブが売却の対象になるかもしれないという情報が出回った。
オレたちはその話を掴んで、
実際にチョンブリまで交渉に足を運んだ。
話は順調に進んだ。
条件も現実的だった。
だが、最後のネックとなったのが、スタジアムの老朽化。
クラブ側からこう言われた。
「チームは譲れる。でもスタジアムの改修は、買い手側でやってくれ。」
オレたちに、そこまでの余力はなかった。
チームを動かす覚悟はあっても、スタジアムを建て直す金はなかった。
こうして、交渉は静かに終わった。
でもそれがきっかけで、オレにとってチョンブリは“他人じゃないクラブ”になったんだ。
◆マイケル・チャヤトーンとの再会
2025年、オレの中でチョンブリが再び動き出した。
きっかけは、マイケル・チャヤトーン。
彼の名前を知ってる人は少ないかもしれない。
FC東京に在籍していたと言っても、たぶん覚えてる人はほとんどいないだろう。
というのも、彼が来日したのは2020年のコロナ禍真っ只中。
練習もままならず、日本語もできず、孤独な日々を寮で過ごしていた。
結局、一度も公式戦に出ることなく、彼は帰国した。
その帰国の日。
オレは空港に行った。
面識はなかったけど、**「日本でつらい思い出だけにしてほしくない」**って思ってたから。
たった一言だけ、伝えた。
「オレは応援してるからな」
それからもマイケルとの縁は続いた。
タイでの所属クラブの試合を観に行ったり、
彼の家族と会ったり。
そんな彼が2025年、チョンブリFCへ移籍。
もうこれは、運命みたいなもんだろう。
だからまた、チョンブリのことを本気で追いかけたくなった。
◆そして、スパンブリへ
そして今週末(2025/04/26)、オレはその“復活の瞬間”を見届ける。
T2最終戦でのT1復帰、T2優勝。
そのダブルを狙うチョンブリFCの決戦の地は、スパンブリ。
PS.
スパンブリもまた、オレにとって特別な場所だ。
1996年、アトランタ五輪予選。
日本代表 vs タイ代表がこの地で行われた。
当時のタイは“ドリームチーム”と呼ばれ、東南アジア大会王者。
だけど、結果、28年ぶりにオリンピック出場を果たすことになる日本代表はもっと強かった。
前園真聖、松原良香らの活躍で5-0で快勝!
試合前、意気揚々としていたタイ人が試合途中に続々と帰って行く姿が今でも脳裏に残っている。
あれから約30年。
また同じスパンブリで、“歴史の一戦”を見届けることになるとはな!
◆次回予告
→【後編はこちら|チョンブリFC昇格戦の現地観戦記】
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📝 植田朝日 / Asahi UEDA
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